2006年12月議会    一般質問

                         12月17日(日)

日本共産党として、国民健康保険税滞納者からの保険証取り上げ問題について、学校選択制について、そして三位一体改革について、一般質問をいたします。

国民健康保険の保険税または保険料を納められない人が増えております。滞納している世帯は、全国で470万世帯、国保加入世帯の2割近いと言われております。低所得者にとって、国保税ほど負担の重い税金はないということは以前から言われていたことでありますが、平成17年から、老年者控除が廃止され、また、公的年金控除の縮小によって、年金収入への課税が強化されました。その結果、収入は増えなくても、いやむしろ減っているにもかかわらず、所得は増えたことになり、所得税や住民税をあらたに取られたり、大幅に増税されたりという事例がいたるところに生まれています。さらに、それと連動して国保税や介護保険料が跳ねあがっているのが実情であります。

魚沼市の場合、平成18年度の国保税の税率は昨年どおりでありますが、今述べた事情によって、ほとんどの人の国保税額が、前年度よりも増えております。1世帯当たりの国保税額は、これは介護分を除いて医療分だけでありますが、昨年度は126617円、今年度は135752円、7.2%の増であります。これは平均でありますから、中には報道されているように4割も5割も上がった世帯もあるわけで、今のような経済情勢が続いて、庶民の生活がどんどん追いつめられてゆけば、国保税を納められない世帯が今後飛躍的に増えてゆくことは避けられません。

政府の基準によれば、滞納がある程度の期間に及んだ人には、数カ月で期限の切れる短期保険証、1年以上全く保険税の納入がない滞納者には「国保被保険者資格証」を発行することになっていると聞いております。資格証というのは、かかった医療機関の窓口でいったん医療費の全額10割を支払い、その領収書をあとで市役所に提出して保険給付分の7割相当額を払い戻してもらうという仕組みでありますが、それは表向きであって、実際は、7割分を払い戻してもらおうと思って市役所の窓口へ行っても、滞納している保険税の納入を迫られ、滞納分にあてざるをえなくなるのです。いったん病院の窓口で払った10割の医療費は、本人のもとには結局全然戻ってこないということになるわけで、資格証というのはきこえが良いけれども、その実は保険証なし、無保険の状態にされてしまうのであります。

お金がなくて保険税を払えない人が、病院の窓口で医療費をまるごと10割払うなどということができるはずはありません。結局、資格証に切り替えられた人は、医者にはかかれないということになるのです。これは人権問題ではないでしょうか。日本国憲法が保障する生存権は、保険税が払えない人にも適用

される権利だと思うのでありますが、保険の対象からはずすことによって医者にかかれなくするということは、生存権をおびやかすことになるのではありませんか。見解を伺います。

 短期保険証の発行によっても滞納が克服出来ない人について、資格証に切り替えたからといって滞納がなくなるわけではありません。ですから、保険証を取り上げるという行政措置は、滞納者への脅しと見せしめにはなっても、行政上得るところはあまりないやり方であります。貧富の差にかかわらず、すべての国民が必要とする医療を受けられるようにという国民皆保険制度の原点ともいうべきこの理念を守ってゆくためにも、国保の保険証取り上げは原則として行わない、という方針で行くのが正しいのではないでしょうか。滞納者に対する短期保険証の発行はやむを得ない面があると思いますが、資格証発行はよほど悪質なケースを除いては、原則として行わない、たとえ国の指導であっても、魚沼市としてはその方法はとらない、という方針でゆくべきだと思うのでありますが、いかがですか。

次に、学校選択制についてお考えをお聞きします。

通学する学校を自由に選ぶという学校選択制が、高校だけでなく、義務教育である小中学校にも導入され、拡大される傾向があります。特に、日の丸と君が代が強権的に現場に押しつけられている東京都において、この学校選択制が一番多く行われているというのは、何かの偶然でしょうか。

従来、日本の公立小中学校は、学区がそれぞれあって、どの地域の子どもはどの学校に行くかがきちんと決められているのが通例でありました。この制度自体に、保護者や住民のあいだからさしたる不満の声は出ておりません。それなのに、一部の学者や評論家などから、にわかに学校選択の自由化が唱えられ、東京都など一部の自治体ですぐさまそれが採用されています。先日、NHKのクローズアップ現代でもこの動きが取り上げられておりましたが、非常に多くの問題点と弊害を生み出していることがわかりました。

近年、何でもかんでも民営化することが能率的で合理的であるという一面的な理解が世間に広がって、市場原理万能主義がもてはやされております。しかし、徹底的な規制緩和と競争の自由化によって生み出されつつあるものは、未だかつて無かった弱肉強食そのものの格差社会であります。

学校選択制というのは、教育の分野における規制緩和であり、市場競争の導入であります。推進論者は、保護者や子どもが通学する学校を選べるようになれば、自由が拡大し、学校同士が競争して教員がもっと一生懸命になって教育が良くなるなどと言っていますが、これは要するに、消費者が店頭で商品を選んで買うように、学校を品定めして選ぶようになれば、教育は良くなるという考え方であります。一見もっとものように聞こえますが、とんでもないことであります。どういう教育が子どもの長い将来にとっていちばんよいのか、という問題は、そんなに簡単な問題ではありません。教育問題について深い知識があるわけでなく、研究もしたことがない保護者に学校を選ばせれば、テストの平均点がどこが一番高いかとか、どの学校の部活が活発で対外試合の成績が良いか、などということで、選択が行われることになるでしょう。一人一人の子どもの成長に眼を配りながら地味な取り組みをしていても、ひとたび保護者から不人気の学校とされてしまえば、児童生徒数が激減し、やがては閉校に追い込まれる、という実例を、先日の番組は報道していました。

学校とは、商品を選ぶように取捨選択の対象とするものではなく、教職員と父母が、子どもたちの健全な成長と幸せのために話し合い協力しながら、築き上げ守り育ててゆくものであります。市場経済崇拝論者たちの、教育の本質をわきまえない浅はかな議論に、絶対にまどわされてはならないと思います。

 いじめなどの問題から、緊急避難的に学区外の学校へ転校することが出来る意味で、学校の自由選択を主張するむきもありますが、そのような特例的な措置は、現在の学区制のもとでもすでに認められ、実際に機能しております。

 市長並びに教育委員会におたずねしますが、学校選択制についてどのような見解をお持ちですか。そして、もしも新潟県において学校選択制が導入可能とされる事態になった場合、

魚沼市立小中学校においてこれを推進する考えがあるのですか。見解をお聞きします。

 次に、高校、特に県立高校の問題でありますが、これは戦後間もなくの新制度発足当初から、複数の学校の中から選択して受験する仕組みになっておりましたけれども、その選択範囲である学区はかなり狭い範囲でありました。それがなしくずし的に広げられてきて、現在では、普通科以外のいわゆる職業系学科につては全県一区で学区制限なし、普通科は第1学区から第8学区まで8つの学区の中での自由選択となっているのでありますが、この学区の中で自由に学校を選べるという制度は、生徒や保護者の側の自由な選択権を保障しているように見えて、その実は、学校の側からの生徒の選択、言い換えれば、成績による選別と、それによる高校の序列化を進める結果となり、「これくらいの成績ならこの学校しかない」という、事実上の不自由選択制となっているのが実態であります。

 こういう実態があるなかで、新潟県教育委員会は、平成20年度入学者から、普通科について設けられている8学区をすべて取り払い、全県1学区とする方針を決めました。これは高校の序列化と、受験生の点数によるいわゆる輪切り、つまり差別化をいっそう進めるだけでしかなく、新潟県の教育にとってプラスはないと考えるものでありますが、どのような見解をお持ちであるかお伺いしたいと思います。 

 最後に、三位一体改革についての見解をおたずねします。

 小泉内閣が推進した「三位一体改革」が、小泉内閣の退場とともに一区切りとなりました。数々の歴代自民党政権のなかで、小泉政権ほど日本社会を悪くした政権はなかったのではないかと私は思います。ごく一部の者は巨万の冨を手にするけれども、大部分の庶民は、ひたいに汗して努力しても報われない、そういう社会を作り出した点で、まさに最悪の政権でありました。しかもその悪政を、構造改革という言葉で飾り立てて、あたかも世の中を良くする政策であるかのように国民に錯覚させて高い支持率をかすめとって政権を長続きさせたことは、その罪万死に値すると思うのであります。5年半に及ぶ小泉政治の結果、日本はどんな国になったでしょうか。億万長者が数多く生れ、大企業はかつて経験したことのないほどの巨大な利益をあげる一方で、昼も夜も、睡眠時間を削って働き続けても一家で食べて暮らしてゆくことが極めて困難になっている人たちが何百万という単位で生み出されています。OECDが本年7月に出した報告によれば、2000年の時点ですでに、日本社会の貧困化率は世界の先進国中、アメリカについで2位という数字がしめされています。その後の小泉政治のなかで、この傾向が極端にまで進んだことは確実であります。いまの世の中の状況を「格差社会」と呼ぶことがはやっておりますが、格差は国民の暮らしだけでなく、大企業や大銀行と中小零細企業のあいだ、大都市といなかのあいだ、国と地方のあいだにも生まれているのであります。

三位一体の改革は何をもたらしたか。地方分権に名を借りた地方の困窮、地方の没落であります。全国市長会、議長会などの地方6団体は、三位一体改革を大いに進めてくれと言う立場だったようでありますが、この改革と称するものが、地方のためにならないものであったことは、数字の面でも証明されております。

 平成16年度から18年度までの国庫補助負担金の削減が47千億円、地方交付税の削減が51千億円、合計国から地方への財政支出は98千億円削減されました。それに対して、国から地方への税源移譲はたったの3兆円であります。しかも、税源移譲というものは、どの自治体にも平等に行きわたるものではありません。大口の納税者となる高所得者や大企業は大きな都市に存在するのが通例ですから、一般に都会は税収が多く、農山村は税収が少ないというのが通例であります。しかし、大都会の大企業があげる利益はどこから生まれるかといえば、都会だけでなく全国至る所に住む人々を相手にして営業活動をして生み出された利益であります。だからこそ、都会で上がった税金はすべて都会のものだという考えでなく、全国の自治体の運営のために使う、という、税収の再配分機能としての交付税があるわけでありますから、この交付税を削減して、税源移譲により自分の所の税収を自分のものにするという部分を多くすれば、都会に有利、いなかに不利ということは火を見るよりも明らかであります。大都市をかかえる自治体に引きずられて、三位一体改革に賛成してしまったのは、地方六団体の大きな失敗ではなかったかと思うのでありますが、市長はどう考えますか。

 私は、三位一体改革による地方財政の急速な悪化といい、その前からの借金奨励政策によって地方債残高を膨大なものにさせたことといい、地方財政危機の主要な責任は国にあると考えています。国に責任がある以上、この財政危機を、すべて地方の住民の犠牲で切り抜けようという路線は間違いであります。市長は、現在の状況を抜本的に改善するために、国に対してどういう政策を求めたいとお考えですか。大所高所に立った見解をお伺いしたいと思います。

 以上で私の質問を終ります。