議案138号(体育施設条例一部改正)など公共施設使用料の大幅引き上げに反対する討論        2007.12.20

 日本共産党を代表して討論を行います。

本議案を含む使用料・手数料改定に関するいくつかの議案については、次の理由によって反対いたします。

第一。一連の使用料・手数料の引き上げは、行政改革の一環として企画され提案されているものと理解いたします。

本来、行政改革とは、行政におけるムダを省き、効率化を図り、国民・住民の幸福に直接結びつかない支出は極力削減し、もって行政サービスのいっそうの充実を図るものであります。

しかしながら、これまで政府が進めてきた行政改革と称する一連の政策、また、全国の地方自治体に実行を迫っている地方行革と称する政策方向は、国民・住民に対する公的な行政サービスを次々と削減することによって財政支出を切り縮め、国家や地方自治体を、国民・住民のために奉仕する機関でなくしてしまうことを究極の目標としております。「小さな政府論」というのがまさにそれであります。政府の言う行政改革は、国民のための財政支出を削ることによって、大企業やアメリカの利益を図るための財源を確保しようというものであって、ニセモノの行政改革であります。もしも政府の言うとおりに従っていれば、市町村は住民にサービスするための組織ではなくなってしまい、存在理由そのものを失うことになってしまうのであります。

いまこそ、本来の意味での行政改革が求められています。魚沼市で言えば、たとえば、数億円におよぶコンピュータ関係や各種行政計画作成などにかかわる委託料などに大胆にメスを入れ、歳出の削減をはかることであります。

行政改革は、何のためにやるのか、何を目標としているのか、というねらいがはっきりしていなければなりません。魚沼市として、これから何に力を入れ、何を伸ばそうとするのか、そのために何をカットする必要があるのか、その基本方向について、議会はもちろん、全市民をまじえて広く議論すべきであります。一律に住民負担をふやすとか、一律に歳出を削減するなどというのは、政治ではありません。

第二。建物の建設費を基礎にして、そのうち市の負担分を20%と見積もり、その合計額を耐用年数で割り、維持管理の費用を加えて月数や日数で割って出した数字を根拠にして使用料を決めたということでありますが、この考え方は、要するに、公的施設の建設費と維持管理費用は、基本的にはすべて利用者が負担すべきだ、という考え方であります。「受益者負担の原則」というのはこの考え方であります。公的サービスに受益者負担の原則を適用するのは当然であるというような議論がありますが、とんでもない間違いであります。

利潤の追求を基本目的とする民間企業の場合であれば、建物にしろ、その他の施設にしろ、それを建設し維持管理してゆく経費は、基本的には営業収入の中から生み出す以外にはありません。これが民間企業の大原則であります。

しかし、公的施設の場合は原理原則が全く違います。施設建設の目的は、利潤を生み出す見通しがあるかどうかではなく、住民の必要をどう満たすか、にあります。住民が真にそれを必要としているならば、収入がどれだけ見込めるかは問題ではありません。もしも公的施設にかかわる経費は原則的にすべて利用する人が負担すべきだ、ということになるならば、税金はいったい何のためにとるのか、という問題が起こってきます。

従って、公的施設における利用料決定の原則は、建築や維持管理の費用の大小ではなく、住民の日常生活の必要度を基本的尺度とすべきであると考えます。すなわち、それがなければ日常の健康で文化的な普通の生活に支障を生じるような重要なものは無償またはそれに近いレベルとし、やや贅沢の要素が加わってくるようなものには公費による負担は少なくする、または無くして、利用者の負担で経費の大部分をまかなう、という原則、さらにそれに付け加えれば、住民のどのような利用や活動を奨励し助長しようとするか、という政策的判断によって利用料・手数料の額を調整し、その面からの政策的な誘導を行うという側面が加わると思います。従って、体育施設や集会施設の利用料が引き上げられるということは、一般的には、住民の文化やスポーツの活動は低下してもよい、少なくとも、積極的な奨励の対象にはなっていない、と判断されるのはしかたがありません。

第三。財政が苦しいから、住民に負担増をお願いするのはやむを得ない、という理由もあげられていますが、財政再建は何のためにやるのか、といえば、住民に対するサービスをいっそう向上させ、住民をこれまでよりも幸福にするためにやるのであって、住民の負担が増えて生活の苦しさが増したりするようでは、自治体の財政状態が良くなったといっても、それには何の意味もありません。まして今の魚沼市のように、3千万か4千万の負担増を住民にかぶせる一方で、望まれてもいない、見通しも確かでない水の郷工業団地や有機センターに、それぞれ十数億円もの大金を惜しげもなく投入するというようなことをやっていては、住民の理解はとうてい得られないし、市の財政もいっそう悪化する危険が濃厚であります。

第四。引き上げ幅は1.5倍以内に抑えた、と言っていますが、必ずしもそうなってはいません。2倍、3倍になってしまう例も見られます。まず何よりも問題としたいのは、1.5倍くらいまでならばたいした引き上げではないので、許容範囲だと考えているのでしょうか。その感覚が問題だと思います。多くの一般市民の生活はいまどういうことになっているか。どこを見回しても収入の増加の話は見当たらず、出費増ばかりが押し寄せています。こういう状況のなかで、一挙に5割増というのは、大変な引き上げです。少なからぬ団体やサークルが運営の危機、あるいは存亡の危機に瀕する可能性があると私は考えています。なんとか我慢してもらえる上げ幅をというならば、せめて1割以内に抑えるのでなければだめだと思います。

第五.合併後3年経ったのだから、このさい統一的な基準を適用して、公平性、平等性を実現したいということですが、行政には、公平性・平等性も大事だけれども、もっと大事なものがあります。行政の温かさです。住民に対する思いやりです。市内各地の施設には、それぞれ成り立ちのいきさつがあり、周辺住民とのかかわり方の歴史があります。たとえば、一例をあげるならば、地域にあった学校が統合され、その代償措置のひとつとして、住民が自由に利用できる体育館が設置されたという例もあるわけであります。3年や5年経ったからといって、それらの経過やいきさつが消えてなくなってしまうようなものではありません。市内が同じものさしで運営できるようになるには、10年でも足りないでしょう。20年でもまだ不十分かしれません。合併によって地域がひとつになってゆくためには、それくらいの時間がかかるのであります。一つの自治体になったのだからいろいろ統一する方向に進もうという方向性そのものは間違ってはいないけれども、合併して3年経ったからといって、市内全体に同一基準をあてはめてことを運ぼうとするのは、行政の都合だけを考えたやり方であります。「市全体が一体化するのにそれほど時間がかかるのは困る」と言うのであれば、それは、合併と言うものを極めて安易に考えていたことを証明するものです。そのような安易な、軽い考えで合併を推進したとすれば、そのことだけで責任を問われなければならないでありましょう。

第六.関係団体や住民との事前の話し合いや合意の取り付けが極めて不十分であったことが明らかになっています。これから41日の実施までに理解を得る努力をする、と言いますが、決まってしまってからの話し合いというのは、結局結論を否応なしに押し付けるという結果にしかなりません。行政当局の内部では、長い期間をかけて手順を踏んで検討が行われたのかもしれませんが、住民のほとんどにとっては寝耳に水であります。こんなやり方は民主主義ではありません。魚沼市は、たかが3千万か4千万の増収をはかるために、住民の意思を大切にしながら市の行政をすすめるという、大事な大事な原則を投げ捨てようというのですか。使用料、手数料は、非常に多くの市民に関係する一種の公共料金であります。市民のふところに直接響くという点では、税と同じようなものであります。その引き上げには、慎重のうえにも慎重を期すべきものであります。

第七.ほとんどの施設使用料が大幅に引き上げられる中で、ただひとつ、営利目的の使用だけが、今までの4倍負担から5割増負担に引き下げらます。これついての合理的な説明がなされておりません。市民一般には負担増を強いながら、業者の営利目的の使用だけを従来よりも優遇するというのは、到底納得できません。

以上、体育施設条例の一部改正案に関連して、その他共通する他の諸議案にも関連して、基本的な見解を申し述べました。ご清聴ありがとうございました。ぜひご賛同をお願いいたします。