不登校

 私は退職後しばらくのあいだ、小出町教育委員会の求めで、不登校対策家庭訪問指導員というのをやっていました。家庭を訪問することももちろんやるけれども、不登校の子どもたちが家にばかりとじこもっていないで、家庭の外でできれば有意義に過ごせるように、そういう活動の場を、学校とはちがうところにつくってあげる、というようなことも仕事でした。
 不登校している子は、そのほとんど全員といっていいくらい気持ちのやさしい子です。自己中心でわがままというタイプとはちょうど正反対なのが多くの不登校の子の実像です。気持ちがやさしいということは、ある意味では心が傷つきやすいとも言えます。繊細な感受性を持ちやさしい気持ちの子どもたちがいまの学校社会のなかでなかなか耐えてゆくことができない、ここに不登校問題の本質があり、日本の学校のありようがまさに問われている、と私は思います。
 不登校は「甘え」だ、「怠け」だと言っていた文部省も、不登校の全国的な激増をまえにして、それが特殊な子どもの問題にとどまるものではないことをようやく認め、「不登校はどの子にもおこり得る」という見解を公式に明らかにしたのが9年前のことです。
 ところがです。町村信孝という文部科学大臣が、最近こういうことを言ったのです。「子どもたちをおだてて何でもいいというのが不登校を増やし続けている」「はき違えた個性や自由、子どもの権利の行き過ぎが不登校を生んだ」
 なんという言いぐさでしょう。学校へ行かなければと思いながらも行けないで苦しむ子どもたち、子育てに間違いがあったのではと悩み自分を責める親たちのことが、全く分かっていない人が日本の教育行政の最高責任者とは。たしかあの人は、まえの小渕内閣のときには文教問題についての総理大臣特別補佐官というもやっていたと思います。
まあ、森さんみたいな人が首相をやっている内閣だから、こんな人が大臣であってもおかしくない、と言ってしまえばそれまでですが、ばかばかしくて腹を立てる気持ちも起こらないと言うことで、国民がだれも腹を立てず、問題にもしなくなったら、この国は本当にダメになってしまいます。だから腹を立てましょう。
                           おわり