JR事故に思う

 JR西日本福知山線のあの悲惨な事故から一カ月になります。なぜあんなことが起こってしまったのか、何が問題だったのかが、このさい徹底的に明らかにされなければなりません。そうでなければ突然に命を奪われ、かけがえのない人生をいきなり断ち切られてしまった犠牲者は浮かばれません。
 この一カ月間で、事故の原因が、会社の、利益最優先の経営体質にあったことが大体明らかになってきました。オーバーランしてしまって、重い処罰を予想した運転士が気を動転させ、何とかそのミスを隠す方法はないかと必死に考えながら、遅れを少しでも取り戻すために、パニックになりながら電車を突っ走らせている最中にあの事故がおきてしまった、ということがほぼ明らかになってきました。かわいそうな運転士です。
 「安全第一」のはずがなぜ「利益第一」になってしまったのか、そこが大きな問題です。ところがその点の掘り下げが、一般新聞もテレビも非常に弱いと思います。先日、あるテレビ局の番組で、出演したある外国人の評論家が、「問題はJRが民営化されたことだ」とズバリ本質をついた発言をしたのですが、その発言に対して日本人のキャスターが言った言葉を聞いて私はがっくりしました。彼はこう言ったのです「民営化されていても事故を起こしてない会社もあるんですからねえ」と。
 私は思います。何でもかんでも民営化をすばらしいことのように持ち上げ、利益の追求を最大限に奨励し、競争に敗れた者は冷たく見捨てる、こういう小泉流の政治が続いてゆくならば、もっと大きな災厄が国民にふりかかることは避けられない、と。
 19世紀、イギリスでの産業革命によってスタートした今日の資本主義体制は、はじめのころ、徹頭徹尾利益追求ひとすじだったため、労働者はひどい状態におかれ、社会不安が増大しました。社会の崩壊を避けるため、労働者の要求もいれて、利益追求に一定のワクをはめ、労働者の生活や権利を保護する社会的合意が作られるようになり、それが最近までの流れとなっていたのですが、アメリカや日本でいま流行しているのは、これまで作られてきた弱者保護の一定のルールを、「規制緩和」の名のもとにすべてぶちこわし、150年前の弱肉強食の世の中を復活させようというという動きです。こういうやり方をキチンと批判できるのは、残念ながらわが共産党だけです。
                                                    (05.5.25記)