ポチが死んだ
  それはあっという間のできごとであった。いつものように私の腕のなかで寝ていた13才のヨークシャーテリアのポチが、真夜中、布団から出て、ゼイゼイと呼吸しながら掛け布団のうえにはいあがった。私に抱かれて寝ていても暑くなると抜け出して掛け布団のうえにあがるというのはよくあることなのに、そのときだけどうして私は目を覚ましたのだろう。去年の夏、心臓が悪いと診断され、朝晩薬を飲み続けていたポチは、夜でも昼でも咳き込むことはめずらしくなかったのだが、そのときはひと呼吸ごとが苦しそうだったからだろうか。しかし目を覚ました私は、「ちょっと息が苦しそうだな」と思っただけであった。だが異変に気づいたのはそれから1分とたたないうちであった。硬直したように手足を伸ばした様子に驚いて顔を近づけてみたときには、もう呼吸をしていなかった。急いでかたわらの妻を起こし、2人でのぞき込んだり名を呼んだり撫でたりしているあいだに、また息をしようとするかのように2,3回口を開け閉めして、それきりであった。あっけない最期であった。2月27日午前2時10分だった。寒い夜であった。
 ポチが生後40日でうちに来たのは、1987年の暮れであった。はじめて犬を飼う私たちによって、ポチは、かわいい顔をしているけれどもしつけのわるい、まったく近所迷惑な犬に育っていった。家の外を通る人があればだれかれかまわず吠えかかり、夜中に一声でもよその犬の声が聞こえれば、その十倍にもおかえしして吠えまくり、玄関の戸のすきまから脱走して散歩中のよその犬のおしりに噛みつくなど、飼い主として身の縮む思いをしたのは二度や三度ではない。すべて飼い主の私たちの責任であった。
 にもかかわらず、ポチは私たち家族にとってはかけがえのない存在であった。外出から帰って戸を開けて「ポチやー」と呼ぶと、みじかいしっぽを動かしながら必ずトコトコと玄関まで迎えに出てくるのであった。家族のだれかが「サンポ」という言葉を口にしようものなら決してそれを聞きのがさず、散歩に出かけようとワンワンはしゃぎ回るのだった。そのポチは今、一辺10センチほどの小さな木の箱のなかで白い骨になっている。外出から帰宅したときの何ともいえぬ虚脱感は当分消えそうもない。
 この3月末、長女が結婚することになった。式は新婚旅行をかねてハワイでするという。両方の親ときょうだいだけが参列する。じつはその約一週間のあいだポチをどうするかが懸案になっていた。去年の夏、妻の亡父母の法事に一家で出かけたとき、ポチは動物病院に3日間外泊したが、そうとう精神的にまいったらしく、帰ってきて数日グッタリしていた。持病もちの犬が一週間の外泊に耐えられるかについては獣医さんも首をかしげた。思案の末、家族のなかで私だけが、ポチのために、結婚式に参列直後にとんぼ返りすることになっていた。このたびのポチの死で、その必要がなくなったわけであるが、「家族みんなでゆっくり行っておいでとポチがプレゼントしてくれたんだね」と妻は何度も言ってそのたびに涙ぐんでいる。
 犬の飼い方として、抱いて寝たり、食事のときに人間が食べているものを分け与えたり、まったく人間同様に犬を扱うわが家のようなやり方はどういうものだろうか。人間と動物のけじめがつかない飼い方をする人は、日本にはわが家だけでなくよくあるようだけれども、外国にはあまりないような気がする。歴史の違いなのかもしれない。狩りとか牧羊とか、犬の果たす役割がちゃんと決まっていたところでは、犬と人間が同じに扱われるなどということはありえない。しかし、ただ可愛がるために飼うという場合には、人間のすることは何でも犬にもさせたいということになってしまうのだろうか。もっとちゃんとけじめをつけた飼い方をしなければ、という気もするが、人間と違ってどんなことがあっても愛情と信頼を裏切ることがない愛犬と一体感にひたる心地よさは、いちど体験するとなかなか捨てがたい。犬のきらいな人にとっては、とても聞いちゃいられない話であろうけれども。                             おわり
                (2001.3.13記)