こんなことがあってよいのか               

 乗っ取った飛行機に乗客をのせたまま、それをまるごと爆弾に変えて、超高層ビルに突っ込む・・・空想小説のようなことが現実に起こるとは。ほんとうに信じられない気持ちです。
 ハイジャックというのは、乗客を人質にとって、その生命とひきかえに自分たちの要求をかなえようとすることであったはずです。「おとなしくしていれば危害は加えない」これが仁義というものです。今回はそれが全くない。要求もなければ交渉もない。ただまっしぐらに突入して死ぬこと、殺すこと・・・。 人類のつくる近代社会というのは、人間の命というものをまず尊重するというところから成り立っているものではないでしょうか。その大前提が崩れてしまったらもうおしまいです。
 犯人たちの目的が何だったのかは分かりませんが、超大国アメリカが君臨するこの世界を変えようと考えたのかもしれません。テロ行為の成功によって犯人たちが目指した世界は実現したでしょうか。ツインタワーは消えてしまったけれど、アメリカという国の性格も行動もなにひとつ変わりはありません。テロが生み出すのは、人間どうしの際限のない殺し合いだけです。テロで世界は変わらないのです。テロは憎むべきものです。
 「テロリストとかれらをかくまう者とは区別をしない」「これはたんなるテロを超えた戦争行為だ」(ブッシュ大統領)。「戦争」ということになると、これは「国家対個人」ではなくて、「国家対国家」の問題だということになります。想像をこえた残虐行為によって数千人の命を奪った犯人たちが、法と理性によって厳正な裁きをうけるべきは当然ですが、アメリカ政府が考えているのは、そういうことではなく、今回の報復として、どこかの国を徹底的にやっつけてしまおうと考えているようです。ただでさえよその国に手を出したくてしかたのない国ですから、こんどのようなことがあれば、世界中のほとんどの国を味方につけて思い切った行動ができるチャンスだと思っているのではないでしょうか。がれきの下になった人々の救援活動は遅々として進まないのに、犯人の割り出しのほうはいやに手際がよいのも気になります。あんなに用意周到に犯行を計画し実行した犯人が、乗客名簿に本名を書き、空港の駐車場の車のなかにアラビア語の飛行機操縦マニュアルを残すなどという間抜けなことを本当にするものでしょうか。
 アメリカ政府が本格的な報復攻撃をどこかの国にたいして開始し、何の関係もない多くの人々がまたまた犠牲にされることが繰り返されるならば、報復と恨みの連鎖はとめどのないものとなり、それこそ21世紀はドロ沼の世紀になりかねません。
 わが国の指導者はどういう考えなのでしょうか。「わが国は米国を強く支持し、必要な援助と協力を惜しまない」(小泉首相)「米国を強く支持する」(田中真紀子外相)。米国がこれから何をやりだすか分からないうちに、そして日本が軍事的にできることは限られているはずなのに、何という軽はずみな言葉でしょう。アメリカにむかって口を開けば迎合の言葉しか出てこないとは、ほんとに情けないことです。
                                     (9月14日記)